杖立温泉 イメージ1 杖立温泉 イメージ2 杖立温泉 イメージ3

渓谷に佇む、湯煙の町 杖立。

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杖じい

昭和の薫りが今も煙る。
杖立温泉はお湯が自慢の温泉街

九州に温泉地は数あれど、
これほど独特の雰囲気をもった温泉集落の景観が楽しめる町は珍しいでしょう。
山道を抜けて杖立川の渓谷が見えると、
川を挟んだ町のあちらこちらからのぼり立つ湯けむり。
美しい川のせせらぎが旅情をかきたてます。

はるか昔から泉質の良さが評判となり「湯治の街」として愛され、
昭和のはじめには「九州の奥座敷」として歓楽街としてのにぎわいを見せました。
平成に入るとその華やかな盛り上がりは衰退していきますが、
いまもその名残をあちこちで感じることができます。
そしていま、さまざまな歴史を受け継ぎながらも
由緒正しい温泉街として静かに息づいています。

昭和初期の杖立の地図

数多くの神話や伝承が物語る
1800年の由緒ある歴史

杖立温泉の昔

湯に入りて 病なおれば すがりてし 杖立ておいて 帰る諸人

杖立温泉で愛されるこの一句。
平安時代の初めに旅で訪れた弘法大師空海が、
温泉の効能にいたく感銘して詠んだと言われるもの。
持っていた竹の杖を立ててみたところ節々から枝や葉が生えてきたことから、
「杖立」という地名もついたと言われています。

そもそも、ここ杖立温泉のはじまりは1800年以上前の仲哀天皇の時代に遡ります。
仲哀天皇の御子をみごもっておられた神功皇后が、筑前の宗像で産気づきます。
その時現れた白髪の老人が「これより東南に川をさかのぼると霊泉がある。
これを汲み産湯に用いれば皇子は千歳の寿を保たれるであろう。」と告げたそう。
それを聞いたお付きのものが、険しい山々を越え一筋の湯気を見つけ皇后のもとへ持ち帰り、
産湯として奉ったこの霊泉こそが杖立温泉。
そして生まれたのが後の応神天皇だったと伝えられています。

数多くの文化人が常宿として親しんでいたり、
映画や音楽のロケ地として愛される絶好の雰囲気をもった温泉街です。

背戸屋

昭和にトリップ
背戸屋(せどや)の路地裏散策

駐車場を挟んで川向こうの温泉街の一筋向こう。
そこに足を踏み入れると広がっているのが、
まるで別世界のような懐かしの風景。
狭い路地がまるでラビリンスのように広がっています。
この町並みは「背戸屋(せどや)」と呼ばれるもの。
狭い土地ながらも、昭和の時代ににぎわいを見せた際に
増改築を繰り返えしてきたことで描かれてきました。

昔は、この裏路地で子どもたちがかくれんぼを楽しんでいたそう。
表通りとは全く違った情緒あふれる散策路となっています。
この町並みを保存していこうと結成されたチーム背戸屋によって、
この筋の往時のにぎわいを偲ぶ写真が手づくりの額縁のなかにズラリと飾られていて、
さながらギャラリーのような楽しみもあります。

絵鯉
  • 絵鯉のある風景1
  • 絵鯉のある風景2
  • 絵鯉のある風景3
  • 絵鯉のある風景4

願いを込めて絵鯉の札が揺れる

杖立温泉には、杖立川を挟んで3つの橋があります。なかでも下流にかかる屋根のついた「もみじ橋」は、実はパワースポット的な人気を誇る場所。よくご覧いただくと屋根の下に、ズラリと何かが吊り下がっている風景が……。

一見「絵馬」のようでもありますが、「絵鯉」と呼ばれる杉の板。もともと、杖立温泉といえば、川に並んだ「鯉のぼり祭り」の発祥の地。もみじ橋のたもとにある「ふるや工房」さんが、その鯉のぼりをイメージしてつくったのがはじまり。そこに願い事を書いて橋に吊るすと願いことが叶うと評判に。とくに「こい(恋)」の願いには効き目があると評判を聞きつけて、たくさんの人が訪れています。

  • 町のあちこちで出会うむし場と共同浴場1
  • 町のあちこちで出会うむし場と共同浴場2
  • 町のあちこちで出会うむし場と共同浴場3
  • 町のあちこちで出会うむし場と共同浴場4

町のあちこちで出会う
むし場と共同浴場

日々の暮らしのなかで「湯気」が欠かせないものとなっている杖立。
町のあちこちに共同でつかえる浴場やむし場が設けられています。

共同浴場は、町の人たちにとっても日々の暮らしで欠かせないスペース。
地元の人たちとの交流も芽生える場所です。
むし場を自由に使ってもらえるように、玉子やお芋といった野菜類の販売も行っています。

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